ペットボトルに口を付けて飲む行為が嫌い

幼い頃、塾の同級生がペットボトルに口を直接付けて飲んでいたことに衝撃を受けたのを、鮮明に覚えている。不潔だなぁと思ったのもつかの間、世の中でそういった行為が一般的になった今、すっかり忘れていた。なぜかここ数ヶ月はそのことをたびたび思い出してしまって、それから極力コップに移してから飲む様にしている。

そんな事は僕の人生にはどうでもよくて、それよりもっと大切な衝撃が色あせてしまうことを危惧している。自分の事は自分が一番知っている、理解していると思っていても、予想以上に過去のことをないがしろにしていて、その分散した衝撃をかきあつめる作業を怠れば、この数ヶ月以内に踏み出す大きすぎる社会への第一歩を天を仰ぎながら踏み出しかねない。一般的に自己分析とか言われる行為を繰り返し行うことは意味がないとか意味があるとか、就活のテクニック界では議論の種になったりするが、内定をもらえるかもらえないかという視点で議論しているのであればそんな行為は実際どうでもいいだろう。それは内定がゴールになっていて、大学受験で言う合格がゴールになっている事と、恋愛における結婚がゴールになっている事と同義であるぐらいに目の前の事しか見えていない。ところで僕は結婚=幸せという社会における認識が吐く程嫌いで、じゃああなたは結婚というビジョンの先にどんな未来を想定し、それを幸せと捉えているのですか、それを幸せと定義した理由はなんですか、と問いたい。まともに返答出来ないのなら幸せになんかなれないだろう(統計と根拠無し)。

話がそれたけど、就職活動が日々本格化する今感じることは、自分を知らずして根拠ある明確な一手を打つことは不可能であること。今までの人生をほぼ一本道のレールで生きてきた僕の様な人間に、多次元の選択肢から明確な根拠に基づいて選び抜くには相当の努力が必要だと感じる。

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