Archive for May, 2009

暮らし

Thursday, May 14th, 2009

私の今の生活がどれ程の充実を以て私の精神を支配しているか、客観的に観測する事は今の私には可成り難しい。主観的にも客観的にも、私という人間はこの1ヶ月間を、あたかも何も考えず、だらだらと過ごしていた様に見える。其れ故に私は私自身に可成り失望している。其の失望から、どうにかして私の生活に活路を見いだそうとすれば、大きな壁が私の行く先に大きく立ちはだかって、私は立ち尽くしてしまう。

そして、其れは私が主体性を失っているからだと私は分析している。主体性を失っているから、自分を観測出来無い。無論、私の精神、頭脳、肉体は私の主体性を以てのみでしか動かせ無い事を、当の私が一番好く知り得ているから、或る最低の主体性を維持しているという事は認識している。私は其の最後の主体性を以てこの1ヶ月間を何とか過ごしてきた。しかし、其の最後の主体性を失う前に自ら主体性を取り戻さなければ、そこらにいくらでもいる愚図と自分に、何の差異をも見つける事が出来ないと私は考えている。

さらに、私の生活は一見すると充実している様にも見えた。此れは、此の事態を私自身が認識する事を大いに阻害した。一見して充実している此の生活は其の実、非常に空虚で有った。日々の生活に於ける潤いは、その人の主体性を以てのみで得られる物だと考えている。亦、私自身がそうである積もりでいる。此れは私の性格であるから、左様なもんですかと思って貰えれば、其れで好い。

私は亦、なぜ主体性を欠いたのだろうかと考えた。そして、時間が足りないからだろうという結論になった。自分の根底を支え、根となる様な時間が必要であると考えた。今の生活は、一見すると密な空間が、其の実大半が綿の様な物で出来ている事と同義である。私の習慣が私によって動かさざるもので有るとするならば、私は其の綿を壊すか、耐えるしか無い。私には粗である空間は堪え難かった。かと云って、破壊する事も惜しかった。亦、其れだけの度胸を私は持ち得ていなかった。

次第に、私は最後の主体性を以てこの空虚な生活を楽しもうという気さえ沸いてきた。実際、今の私には此の生活をどうする事も出来なかった。目の前の生活によって次の生活が有る事を、私は同時に理解している。つまり、此の習慣を私が動かせる時迄耐え、其処で変えるしかないという有る意味で当然の結果に帰着した。其れがどんな変化で、何時であるかも知り得ない、極めてあやふやな所に着地する他無かったのである。